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大人は判ってくれない|トリュフォーの自伝的要素の強い、カンヌ国際映画祭監督賞受賞の長編デビュー作。

大人は判ってくれない
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大人は判ってくれないは、1959年公開のフランス映画。ヌーヴェル・ヴァーグの新鋭フランソワ・トリュフォーの第一回監督作品。両親の愛を知らずに育った12歳のアントワーヌ・ドワネル少年は、家庭でも学校でも自分の居場所を見つけることができない。彼の行動は常に周囲と行き違い、遂には鑑別所に送られてしまう…。トリュフォーの自伝的要素の強い長編デビュー作。1959年のカンヌ映画祭で監督賞と国際カトリック映画事務局賞を受賞し、一躍「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手として知られるようになった。

大人は判ってくれない 映画批評・評価・考察


大人は判ってくれない(原題:Les Quatre Cents Coups)

名匠フランソワ・トリュフォー監督が27歳で放った長編デビュー作でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞。不良と決めつけられた12歳の多感な少年アントワーヌの彷徨を見つめた傑作!

新人だったトリュフォー監督が本作で一躍、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの寵児になったという伝説を残した作品です。自身も少年感化院に入っていた時期がある、トリュフォーの自伝的色合いが強い作品だというのは有名な話です。その後もトリュフォーは、同じ主人公アントワーヌの成長を取り上げる《アントワーヌ・ドワネル》シリーズを作り続け、シリーズは5作目まで作られました。やはり続けてアントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオ(本作ではまだ子役だった)のナイーブな演技にも、永遠の輝きがあります。

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大人は判ってくれない あらすじ(ネタバレ)

大人たちは少年時代を思い出しては、楽しかったという。が、十二歳のアントワーヌ(ジャン・ピエール・レオ)には、毎日がいやなことの連続だ。その日も、彼は学校で立たされ、宿題を課せられた。が、親子三人暮しのアパートには共かせぎの両親が帰る前に、日課の掃除が待ってい、口やかましい母親と、妻の顔色をうかがう父親とのあわただしい食事がすむと、そのあと片づけで、宿題をやる暇はなかった。

翌朝、登校の途中、親友のルネと出会うと、彼は学校へ行くのをやめ、二人で一日を遊び過した。それはどんなに晴れ晴れとしていたことだろう。が、午後に、街中で、見知らぬ男と母親が抱き合っているのを見た。視線が合った。その夜、母の帰宅は遅かった。父との言い争いの落ち行く先はアントワーヌのことだ。彼は母の連れ子だった。

翌朝、仕方なく登校し、前日の欠席の理由を教師に追求されたとき、思わず答えた。母が死んだのです。が、前日の欠席を知った両親が現れ、ウソがばれた。父は彼をなぐり、今夜話し合おうといった。その夜、彼は家へ帰らず、ルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。母は息子の反抗に驚き、学校から彼をつれもどした。風呂に入れて洗ってくれた。精一杯優しく彼を励ますが彼は心を閉ざしてしまっていた。

翌日から平和が戻ってきたように見えた。親子で映画にも行った。が、ある日の作文で、アントワーヌは尊敬するバルザックの文章を丸写しにし、教師から叱られ、それを弁護したルネが停学になった。彼も、欠席して家を出、ルネの家にかくれ住んだ。金持の子の、大きな家の一室で、食べものを探しながらの生活は、たいした冒険だった。やがて金に困り、ルネと共に、父の勤める会社のタイプライターを盗みだした。が、金にかえることができず、もとに戻しに行った時守衛に捕った。父親は彼を警察へ連れていく。非行少年として少年審判所へ送られた。護送車の中で初めて涙が出た。母親は少年に面会もせず、判事の鑑別所送りのすすめに応じた。

鑑別所で、束縛された毎日のあと、やっと母親が面会にきた。ここが似合いだよ。母は冷かった。アントワーヌは監視のスキに、脱走した。駈けた。野を越えて。海へ、海へ。初めて見る海は大きかった。見捨てられた彼をゆるやかに迎えた。彼は浜に立ちつくした。

大人は判ってくれない スタッフ

監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー,マルセル・ムーシー
製作:フランソワ・トリュフォー
音楽:ジャン・コンスタンタン
撮影:アンリ・ドカエ
編集:マリー=ジョセフ・ヨヨット
配給:東和

大人は判ってくれない キャスト

アントワーヌ・ドワネル:ジャン=ピエール・レオ
ルネ・ビジェー(親友) :パトリック・オーフェー
ジュリアン(父):アルベール・レミー
ジルベルト(母):クレール・モーリエ

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