愛のコリーダは、1976年公開の日本・フランス合作映画。制作プロダクションのノートによると、『本作は日本初のハードコア・ポルノとしてセンセーショナルな風評を呼んだ』としている。題名の「コリーダ」はスペイン語で闘牛を意味する「Corrida de toros」からとっている。フランス語の題名 L’Empire des sens (官能の帝国)は、ロラン・バルトによる日本文化論 L’Empire des signes (邦題 『表徴の帝国』)にちなむ。昭和史に残る「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描く。作品内容は神代辰巳監督の 『四畳半襖の裏張り』 (1973年)に大きな影響を受けており、大島自身も制作に当たって一番参考にした作品であることを認めている。映画では主に藤竜也(吉蔵役)と松田暎子(定役)の性的シーンはすべて無修正であり、二人の陰部が無修正で写されているシーンもあるため、日本国内では大幅な修正が施されて上映されたが2000年に「完全ノーカット版」としてリバイバル上映された。
愛のコリーダ 映画批評・評価・考察
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価格:4,440円 |
愛のコリーダ
脚本:20点
演技・演出:17点
撮影・美術:16点
編集:7点
音響・音楽:8点
合計68点
日本のチャールズ・ブロンソンこと藤竜也と世界的映画監督大島渚の野心作にして、内容はともかく表現という部分で評価されることが大きい本作。
大島渚の作品に影響受けた監督は、アジアでは、北野武、チェン・カイコー、アン・リーなどでハリウッドではマーティン・スコセッシなどがおり、野坂昭如とマイクで殴り合っている大島渚のイメージが強い人ですが、本当にすごい監督です。
今作については、AVより生々しい映像と陰影の使い方がすごく旨いんです。映像に古さがないというか、絵画ともいえる芸術性があります。
阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。
マスメディアにおける切断部位の表現に大きく影響を与える。
事件発生後、阿部定が切断した性器をどう表現するか、各新聞社は頭を悩ませた。「ちんぽ」「おちんちん」などでは品位がないし、「男性器」「生殖器」などでは生々しすぎたからである。またこの事件のメインテーマでもあるため、お茶を濁して誤魔化すわけにはいかなかったのである。苦慮の末、「局所」「下腹部」という表現が用いられて報道され、これ以後は性器部分をあらわす言葉として定着した。
愛のコリーダ あらすじ
昭和11年、東京中野の料亭「吉田屋」を舞台に、吉田屋の主人吉蔵(藤竜也)と阿部定(松田暎子)の二人が出会い、定が吉蔵に一目惚れする。吉蔵も定に惹かれ、二人は吉田屋のそこここで密会を重ねていく。その関係が露見すると、二人は料亭を出奔して、待合に入り浸り酒や芸者をよびつつ、昼夜を問わずに体を求め合った。二人は待合の一室で貪るように愛欲生活を送った。二人の愛戯はエスカレートし、お互いの首を締め快感を高めるのが日常化していた。しかしある日、定は吉蔵の首を強く絞めすぎ、死ぬ寸前まで行った。定の介抱も実らず、吉歳は一旦、「吉田屋」に帰って養生すると定に伝える。しかし、定は吉蔵を自分一人のものにするため、吉蔵を殺す決意をする。
愛のコリーダ スタッフ
監督、脚本 – 大島渚
製作代表 – アナトール・ドーマン
製作 – 若松孝二
撮影 – 伊東英男
美術 – 戸田重昌
編集 – 浦岡敬一
音楽 – 三木稔
助監督 – 崔洋一
装飾 – 荒川大
録音 – 安田哲男
照明 – 岡本健一
衣裳 – 加藤昌廣
美粧 – 竹村幸二
結髪 – 大沢菊江
スチル – 小山田幸生
合作調整 – フランス映画社
愛のコリーダ キャスト
吉蔵:藤竜也
定:松田暎子
「吉田屋」のおかみ トク(吉蔵の妻):中島葵
老乞食:殿山泰司
「田川」のおかみ:松井康子
「吉田屋」の女中 松子:芹明香
芸者 八重次:白石奈緒美
「満左喜」の芸者:小山明子
芸者 菊竜:小林加奈枝
大宮先生:九重京司
半玉:岡田京子
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