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無法松の一生|日露戦争が終わったばかりの頃の小倉を舞台に、喧嘩っ早いが根は一本気な車夫・富島松五郎の純粋一途な生き様を描く。

無法松の一生
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無法松の一生は、1943年公開の日本映画。岩下俊作の小説『富島松五郎伝』の最初の映画化作品で、伊丹が脚本を執筆するが病に伏していたため、稲垣が代わって監督し完成させた。日露戦争が終わったばかりの頃の小倉を舞台に、喧嘩っ早いが根は一本気な車夫・富島松五郎の純粋一途な生き様を描く。日本映画界屈指の名作の一つに数えられ、主人公の松五郎を演じた阪東の代表作にもなったが、松五郎が大尉夫人に密かな愛情を告白するシーンなどが内務省の検閲で削除され、戦後もGHQにより一部が削除された。稲垣は完全版を撮るために1958年(昭和33年)にリメイク版を製作した。

無法松の一生 映画批評・評価・考察


無法松の一生(英題:Rickshaw Man)

阪東妻三郎扮する人力車夫が、軍人の未亡人とその息子に献身的な愛情を捧げる様子を、撮影の名手・宮川一夫の傑出した映像美を随所に織り交ぜながら、稲垣浩監督が叙情味豊かに描写。未亡人役は、その後間もなく広島の原爆で落命した園井恵子。その息子役(少年時代)を演じたのは、子役時代の長門裕之。本作は戦中、戦後と2度にわたって検閲による場面削除の憂き目に遭い、稲垣監督自ら1958年にリメイクして無念を晴らしました。

剣戟王、阪東妻三郎は、1953年、51歳の若さで惜しまれつつ亡くなるまで、数多くの傑作に出演しつづけました。同じく俳優として活躍する、田村高廣・正和・亮の父親でもあります。阪東妻三郎最大の当り役となった本作は、名匠・稲垣浩監督の最高傑作というだけではなく、日本映画史に燦然と輝く名作の一つです。


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無法松の一生 あらすじ(ネタバレ)

明治30年、小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、結城重蔵の仲裁で素直に謝った。松五郎は意気と侠気のある男だった。

松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった。

やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。

それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあった。

無法松の一生 スタッフ

監督:稲垣浩
脚本:伊丹万作
原作:岩下俊作
製作:中泉雄光
音楽:西悟郎
撮影:宮川一夫
編集:西田重雄
製作会社:大映京都撮影所
配給:映画配給社

無法松の一生 キャスト

富島松五郎:阪東妻三郎
結城重蔵:月形龍之介
吉岡小太郎:永田靖
夫人よし子:園井恵子
吉岡敏雄:川村禾門
敏雄の少年時代:澤村アキヲ(長門裕之)
宇和島屋:杉狂児
撃剣の先生:山口勇
巡査:葛木香一
熊吉:尾上華丈
木戸番の清吉:小宮一晃
松五郎の父:香川良介
松五郎の継母:小林叶江
松五郎の少年時代:町田仁
奥大将:荒木忍
副官:横山文彦
五高の先生:戸上城太郎
居酒屋の亭主:水野浩
町の古老:葉山富之輔
茶店の老婆:二葉かほる
茶店の客:浮田勝三郎
子を探す母親:瀧澤靜子
酔っぱらいの紳士:春日清
俥上の客:大川原左雁次
オチニの薬売り:志茂山剛
虚無僧:小池柳星
ぼんさん:駒井耀
師範の主将:中根正治
敏雄の学友甲:阪東実
敏雄の学友乙:宗春太郎
太鼓を打つ青年:杉本潤一

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