矢吹二朗

矢吹 二朗(やぶき じろう、1949年1月6日 – )は、日本の元俳優・会社員。特定非営利活動法人森林デザイン研究所代表。本名は前田 満穂(まえだ みつほ)。別名は千葉 治郎(ちば じろう)。1976年に矢吹 二朗へと改名した。2006年以降に出演したイベントや雑誌記事においては、千葉治郎の名が再び用いられている。

千葉県君津市八幡町出身。関東高等学校卒業。兄は千葉真一、姪は真瀬樹里、甥は新田真剣佑、眞栄田郷敦。

二男三女の二男。1967年、高校を卒業後、文学座附属演劇研究所に第7期生として入り、翌年卒業。社会経験のため、皿洗い、トラック運転手の助手、バンドボーイなどさまざまな職業を経て、1969年『ブラックチェンバー』(フジテレビ)に「千葉 治郎」の芸名でデビュー。芸名は、この『ブラックチェンバー』の原作者の生島治郎から名前を授かった。

1970年、兄・千葉真一の主宰するジャパンアクションクラブに入る。その後も藤岡弘、の大怪我により急遽出演が決まった『仮面ライダー』(毎日放送)をはじめとする多くの特撮テレビドラマ、アクション作品に出演した。『仮面ライダー』の後も、同じ石ノ森章太郎原作の『ロボット刑事』、『アクマイザー3』にレギュラー出演。『アクマイザー』では、自ら願い出て三枚目役を演じたという。矢吹は『仮面ライダー』企画段階の『マスクマンK』の段階でも主役候補に挙げられていた他、矢吹を仮面ライダー2号にしようとする案もあったが兄である千葉が難色を示し実現しなかった。

1975年、『激突! 合気道』(東映)で映画初主演を果たし、翌年の『ラグビー野郎』(同)で主人公の名前をとって「矢吹二朗」と改名する。1976年に丹波哲郎が主宰する丹波プロダクションに移籍し、多くの作品で活躍するが、1982年に俳優を引退。この時は、演じる方はもういいから、映画などを創る側になりたいという思いがあったといい、また、兄と常に比較される芸能生活への悩みもあったという。

俳優を引退後、古着屋経営を経て、千葉県森林整備協会にて県有林保護監視員として活動。2008年には、特定非営利活動法人森林デザイン研究所を設立。2015年時点では東京ドイツ村に勤務、同村内に在り、自ら企画した『ジージの森』を運営。ジージの森の名前は「お爺ちゃん(爺じ)が子供の頃に自然の中でやっていた遊びを今の子供たちにも伝えたい」という意味で名付けた。

また、2006年には再び千葉治郎の名で、仮面ライダー誕生35周年記念イベント「面祭2」にゲスト出演。2009年3月に川崎市内のミニシアターで劇場版仮面ライダー上映イベントが催された際も、千葉治郎の名で佐々木剛とともにトークイベントを行った。

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